“姿勢”と“意志”で限界を超えた2025サロマ湖ウルトラマラソン100km
目次
第1章:変化したモチベーション、それでも走る理由
2025年、サロマ湖ウルトラマラソンへの挑戦は、私にとって4回目でした。
初めて出場したのは2013年。
その時は50kmで11時30分(スタート後6時間30分)の関門クリアーできずリタイアという悔しい結果。 そこから10年の時を経て、2023年から3年連続での参加。少しずつ距離との付き合い方も変わり、完走への手応えも得られるようになってきました。
現在のベストタイムは、10時間42分25秒(2024年)です。
果たして、2025年は!?
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2013年サロマ湖100キロウルトラマラソンから学んだこと
第38回サロマ湖ウルトラマラソン2023完走!!振り返り。
目標達成への挑戦_2024年サロマ湖ウルトラマラソン100km
サロマ湖ウルトラマラソン2024 振り返りとQ&A
エントリー時2025年1月時点での目標は、「TJAR(トランスジャパンアルプスレース)の出場条件である、ウルトラ100km10時間30分以内の完走を目指す」ことでした。
しかし、フルマラソンでの別の目標「3時間20分以内」を大阪マラソン2月末でクリアしてしまい、TJARの別基準を満たしてしまったことで、モチベーションに変化が生じました。
「100kmウルトラマラソンを走る意味を、もう一度見直す」そんな思いを持ちながらの準備期間になっていました。
けれども、3年連続でエントリーしてきた大会。
出場するなら完走したいが、練習モチベーションが低下のまま本番に。
記録として、この数ヶ月の練習量をざっと振り返りました。
3月 ジョグベース 74km
4月 ポイント練3回 30kmペース走1回 合計215km
5月 25kmペース走1回 合計228km
6月 15kmペース走1回(6月1日) 100km
距離はあまり関係ないのですが、負荷をかけた練習がないと脚が弱くなっており本番に耐えられないのは最近わかってきました。13年走ってきて姿勢と最低負荷は必要だと考えてます。
今回は、
LSD(長い距離をゆったり走る練習)ばかりで、レースペースで距離を踏まないまま本番に。
【この練習状況で、今しかできない姿勢実験があるのではないか?】
そんなシンプルな問いが、今回の出場の背中を押してくれました。
記録ではなく「今の自分の体と、できることをやってみること」に重心が移ったのが、今回の特徴だったように思います。
目標を見失ったときにでも、走る意味を姿勢治療家として探す——
そんな、自分への問いかけのような100km。
本番、レーススタートしても続いていました。笑
第2章:モチベーションのズレが生んだ「うっかり」という落とし穴
気持ちも、今までのレース前と違う色々な「緩み」がありました。
3ヶ月前に診療のスケジュールを組む際に、うっかり、大会前日の土曜日の診療予約を入れてしまっていたのです。
本来であれば、お昼便の飛行機で余裕を持って現地入りし、早めの夕食で19時に就寝の予定が。。。
今回は診療を終えてからの夕方便になりました。
これも、今回の誤算でした。
飛行機を予約した時は、仕方がないと考えていたのですが、実際レース当日になると、現地到着予定、19時15分到着が、色々遅れが生じ結局、女満別空港への到着は夜の8時直前に…。
本来であれば、もっと慎重に準備しているので、スムーズに運ぶのですが。。
今回は、色々な学びがあるレースになりました。
小さな判断ミス、気持ちの緩みが、実際にレースにも影響を与えます。w
——それは、後の章で明らかに。。。
第3章:食事と準備、整わないまま迎えたスタートライン
行きの便は、スケジュール変更で飛行機を取り直したこともあり、 いつものANAではなく、JALを利用しました。
空港ターミナルが違い新鮮な気持ちでチェックインになりました。
そんなチェックイン直前で、飛行機の出発時間が遅くなることが分かりました。
少しでも、レースのためにできることを考えたのは食事を早く済ませてしまい、起床時にしっかり食事を食べられるようにすること。
現地での夕食を考えると20時以降になってしまうことから、夕方16時45分ごろ、「前倒し夕食」を取ることにしました。
毎年サロマでの夕食は17時ごろなのでほぼ同じ時間になりました。

レース当日は、朝食はAM2時ごろに食べることになります。
(レーススタートがAM5時のため、3時間前には消化を進るために食べ終わりたいので)
「翌朝1時30分に朝食を取る」ことを前提に、朝食が食べられる体に整える戦略は、ばっちりできました。
しかし、問題はそのあとに起きました。
北見駅前の東横インにチェックインしてから、近隣コンビニに朝食を買いに行ったところ、
おにぎりや納豆など、いつも食べている朝食の定番が全て売り切れ。
レース前の栄養補給として重視していた発酵食品や炭水化物が手に入らない事態でした。
結局、用意できたのは:
- パックご飯
- インスタント豚汁
- 卵サラダ
納豆巻きと野沢菜おにぎりが食べたかったな〜と思い考えても仕方ないので
パックごはんはどうやって温めようかなとホテルに戻りました。
やはり事前準備が、大切ですね。


ベッドに入ったのは夜10時。
ホテル前に2時集合で、仲間と約束していますので。
起床時間はAM 1時15分に設定。
携帯と腕時計のアラームをセット。「あと3時間15分で起床の時間です」とカロスには表記されました。
就寝から起床までの睡眠時間はわずか3時間ほどというスケジュールになってしまったのです。
トルデジアン2024の時は、15分睡眠で3時間動けて、3時間睡眠で一日動ける実感があったので、これぐらいは大丈夫でしょう。🤭
01:15 しっかり起きれました。
短時間睡眠なので、少々寝ぼけ気味でしたが、
なんとか起床。
大会の儀式として、
まず足のテーピングをしながらお湯を沸かす。
行儀が悪いですが、テーピングを貼りながら食事をしてます。
豆にならないように、ガーニーグーを塗ったり。
ひと通り着替えると、集合時間に。

午前2時、ホテル前に集合。
今回は、大塚さんの車に乗せてもらい、ゴール地点へ向かいました。
サロマ湖はゴール地点と、スタート地点が離れています。
車で50分程度の距離です。
・ゴール後にスタート地点に戻る
・はじめにゴール地点に車を置いて、バスかタクシーで移動する
北見や網走に宿泊すると、
これが起床時間が早い理由になります。

スタート地点まで
・バス
・タクシー
2グループに分かれて移動しました。
この段階でAM3時。
去年よりも少し寒さがあり、天候はレース向きなのかと、この辺りでは感じていましたが。

雑談しながら乗っていると、タクシーは50分ほどで体育館に到着しました。
最近は、冬には中国のお客さんが多くて、スマホでほとんど会話ができてしまうそうです。
そして、中国人の方は雪が大好きで、雪の上でゴロゴロしたり楽しまれている話を伺いました。夏の運転はいいけど、冬はオススメしないとか。。。色々近況を教えてもらいました。
体育館に到着すると、いつもの会場の空気になっています。
トイレに行き、準備万端といったところ。

今回は、1番の楽しみは、陸連登録しておりスペシェルエイドにドリンクを3箇所置けるのが今までと違いますので、どのように変わるかも楽しみでした。


こんな一枚をいただけると嬉しいですよね!
友人が一眼で撮影してくれました。
今回は、本番で3つの実験をしてみました。
◎テーピングをつけ、効果と実感を感じる
KTテープ(少し下の位置に貼って実験的にサポート)してみることにしました。
レースの中で自分の体を観察しながら試してみる。
※KTテープはよく使っていますが症状がない状態でテンションをかけながら右膝で使いました。
◎あまり計測機器をチェックしないで自分の心地よいペースで走ってみる
なるべく時計をみずに、自分のペースで走る。
体内の感覚を意識して心地よい心拍ゾーンで走ってみる
◎サプリメントの実験(カタリストゾーン&パワバーFUEL GEL)
新しいサプリを見つけたので、本番にいきなり投入。
本来はNGなのですが、今後の実験として。
※カタリストは、千葉県の現役ウルトラランナー小谷修平さんが作られている商品です。
昨年と比べると練習はできて無いですが、スタートラインに立ったときには、
「走るしかない」という気持ちになりました。
第4章:快調なスタート、浮かれた心と静かな違和感

今回は陸連登録をしていたため、初めてナンバーが「A」となり、グリッドの最前列からスタートできることに。
早い方々に紛れて参加できるので、雰囲気も空気感も少し違いました。
「今日はどこまでいけるか、今の自分を味わってみよう」
そんな気持ちでスタートラインに立っていました。
2013年に参加したときは、フルマラソン一回完走だけで、このサロマ100kmに挑戦していた時の緊張感とは比べ物になりません。
あの時は、全てのランナーが超人に見えてました。😆
それから12年経過して、いろんな大会に出場させてもらったこともあり、
今は、どんな体調でも、どんな天候でも日本国内なら安心してレースができる気持ちです。
何より、51歳にもなり、自己最高のマラソンタイムが出せたり、健康に100km走ることに挑戦できることに感謝してスタートさせてもらいました。
走り始めてみると、体が驚くほど軽く感じられました。
「これはいけるかもしれない」と思うほど、足も、呼吸も、自然に動きました。笑
これぞ、脳の錯覚です!w

…ただ、冷静に考えれば、直前1ヶ月の走行距離はわずか100km。
その前の月(5月)は200km走っていますが、
ウルトラマラソンに必要とされているレースペースでの30km、50km走などのロング走は明らかに不足してました。
それでも、身体の快適さに任せて、あえて心拍もスピードも見ず、感覚を信じて走ってみることにしました。
レース序盤は、以下のようなペースで進みます:
- スタート〜5km:5分10〜15秒/km
- 5km〜11km:5分10〜20秒/km
- 11km〜18km(折り返し):ほぼ一定の5分30秒/km前後
この辺りまでは、とても快適でした。
「今日はどこまでこの感覚で行けるだろう」
そんな希望を持ちつつ、ペースを保ちながら20km地点を目指していました。
しかし、20kmを過ぎた頃——
まだ体に大きな異常はないものの、少しずつ疲労感が顔をのぞかせはじめます。
「この感じ…やっぱり早すぎたかも」
そんな思いが、ふとよぎりました。
でもまだ、無理はしていない。まだ持つはずと心拍を見てみると、いつもの165に。
私の心拍は高めなのですが。。流石に。
この心拍では40kmは持ってもそれ以上は厳しいのは以前の経験から感じてました。

でもやり始めてしまったら、できるところまでやってみようと。
そんなことを自分に言い聞かせながら、次の補給地点へと向かっていました。
第5章:補給と葛藤、気持ちが折れかけた46kmの壁
サロマの100kmを走る中で、特に意識していたのが「荷物の軽量化」でした。
できるだけ持たずに走り、身体だけでどこまで楽に移動できるかです。
身体が絞れておらずやっぱりちょっと体重が重め(173cm 72kg)。
今回は陸連登録をしていたため、エリート選手と同じく“スペシャルドリンク”を活用できました。
30km地点・63.5km地点・80km地点と3箇所に自分のスペシェルドリンクを置けます。
30km〜54km区間に必要な補給は、すべて軽量なプラスチックシェイカーに入れ、30km地点で受け取れるようにしていました。

30km:30km〜52kmまでの4つのエイドで使うジェル・電解質
63.5km: 80kmのスペシェルエイドまでの2つのエイドでのジェル・電解質
80km:80kmでのモルテン・85km・90km・95km地点のジェル・電解質
背負う荷物は無くし、補給も、最小の物しか持たずに、スペシャルエイドで補給をピックアップすること。
この使い方を見つけて、荷物が昨年より減りました。
リュックを背負っている人も、沢山腰回りにつけている方も多かったですが、
サロマ完走を考えている方には、陸連登録をおすすめです!
このスペシャルドリンクは、昔は全員にあったそうですが、途中から陸連登録の方だけになりました。
エイドに近づくと、素晴らしいタイミングで地元の学生が手渡しで渡してくれます。
ほんと暑い中、ありがたいです。
30km地点でスペシャルドリンクを受け取り、簡単な補給食をポケットに入れ直して再び走り出す。。
感じですが。。
久々に2023年の時もきつかったですが、まだ気持ちは前向きでした。
ですが、体感としてはすでに“オーバーペースだったかもしれない”という感覚が、静かに胸をよぎりはじめました。w
35km地点、国道に出る頃。
時刻はまだ朝の8時台ですが、すでに日差しは強くなり始め、皮膚を刺すような直射日光が体力を奪い始めてきます。
ペースはまだ5分30秒/kmで維持できていたものの、暑さと疲労感が心を揺らし始めました。
39km付近で、ふと立ち止まりたくなりました。

5分だけ軽く休憩を取り、なんとか再始動。
42.195kmの通過タイムは4時間12分。昨年のタイム(10時間42分完走時の42km地点が4時間11分)とほぼ変わりません。

ですが、今年のコンディションはまったく違いました。
すでに疲労は限界寸前。
「あと60kmもあるのか…」という声が、心の中に…。
そして46km地点。

「エイドで、日陰で休んでいいよ〜」とおじさんの声にのせられて思いっきり横たえてみました。笑
心拍を下げるために、しばらく涼しい北海道の風がとおるテントの下で、
9時40分にエイドに入り、そのまま20分近くも寝転んでました。
時刻は10時を過ぎ、まだレースは半分も終わっていないのに。
※ここで初心者がやってしまうウルトラマラソンの典型パターンにハマったことが実感できました。
これは辞めたくなるな〜。と

「もう…リタイアしてもいいかも」
正直な気持ちは…。
でもまだ時間があるんです。
そこに、人との出会いが力をくれました。

大エイドの54kmへ向かう途中、日曜飛脚の常連、一緒に東海道53継を全て走った沼地さんとの偶然の再会。
僕の横を抜けていかれるワラーチランナーをみて、よくゼッケンの名前をみたら沼地さんでした!
写真を一緒に撮り気分は少し変わりました。
仲間の力は最高ですね!!
ちょっとだけで意識が変わりますから。
大エイド(54.5km)には11時12分に到着。
しばし座り込みながら、facebookで仲間のメッセージを確認しました。

「ここでやめてみる?? 」
第6章:レースから実験へ。心を切り替えた、第二のスタート
「リタイアしようかな…」
そんな気持ちが、また頭をよぎったのが、ちょうど大エイドでの休憩中、午前11時30分。
これまで初めて走ったフルマラソンから一貫して決めているルールを思い出しました。
「止められるまでは、自分からはやめない」
レースに出場する時の自分との約束になっています。
・正しい姿勢を意識すること。
・止められるまで、自分から辞めないこと。
レースに出れば、辞めたくなることばかりですから。😆
大会に迷惑をかけたくはないので、大会を規定している足切りにかかるまでは精一杯前に進んでいくことにしています。
今、世界でも、日本国内だでも、いろんな状況で過ごされている方いる中、自分が好きなことを実験し、仕事にさせてもらえてる手前、自分ではやっぱり辞めれません。
【事実は一つ、解釈は無限大】
全員が苦しいのは一緒ですから。解釈を変えてしまいましょう!
エイドには次々と選手が入り、そして再び走り出していきます。
どの選手も、脚が重そうだったり、苦しそうだったり、楽に出発している人は一人もいません。
その姿を見ていると、「まだ終わっていない」という感覚が戻ってきました。
今回は、大エイドから切り替えることにしました。
「今日は大エイドまでが、レースだった。ここからは、刺激を入れるためにレース後にLSD(ロング・スロー・ディスタンス)を入れる特別な練習の日にする」
さっきまでは、レースだったけど、
今からは、大会終了後のLSDの練習だ!
おかわり練習のようなものにしてしまおう!!
そう思えば、この後の苦しさも、新しい練習になるのではと、スタートしてみることにしました。
ここからの「実験モード」は:
- 芍薬甘草湯(漢方)で足のつり対策(初めて使いました!最高でした!)
- 自家製のキリマンジャロコーヒーとモルテンを準備し、補給と気分転換。モルテン500mlが一気にエネルギー回復になった気がします。
(この1週間コーヒー断ちをしてました。) - 足の疲労と指先に圧迫感があったので対策として、インソールを外して走ってみるというチャレンジ。
(これは失敗、靴の中で足が暴れて豆が結果多数できました。w)
この時点からも、レースは私にとって“競技”ではなく、さらなる“身体の研究”へと変わって行きました。笑
でも、身体は正直です。
走り出すと、再び暑さと攣りそうな感覚が襲いかかってきました。
60km地点のエイドでは4分ほど座ってストレッチ。

「脚が攣りそうなので、リタイヤしました」
はこの感覚だな〜。とか。
「暑すぎて、走れなくなってしまいました」
もこの暑さだとあり得るな〜とか。
12時を過ぎたあたりからは特に直射日光はかなり厳しく、足元の影すら熱く感じるほど。
この辺りは、サロマ湖ウルトラマラソンでは、氷が沢山あるので楽に冷却できることを過去のレースで学んでました。
ジップロックを持っているので、そこにエイドの氷をいただきアイスパックにします。
腰の後ろ・首の後ろ・脇に挟む・シャツに挟み心臓付近を強制的に冷却。
などなどしながら走りました。
そして63.5km地点では、後半戦用のスペシャルドリンクボトルを受け取り、再びペースを整えます。
とはいえ、ペースはキロ7分台、時速にして約8.6kmほど。
「この局面からどうすると、少しでも快前に進み続けられるか」が目的に変わっていました。

かぶっているのは、手拭いタオルです。水に濡らして頭に巻いてます。
周りのランナーも、苦しんでいる様子がよくわかります。
68km地点に立派なノボリが出ていましたので、写真を撮らせてもらいました。

このウエアが膨らみが、ジップロック氷の、
心臓部分から冷やすために強制冷却システムです。
そして70km地点。
ここでも13分間、ストレッチをしながら体を立て直します(13:33〜13:46)。
ジェルや補給は美味しくないですが食べれます。
ただ、カフェインを多く取りすぎているようで若干カフェイン拒否な頭の疲労感がありました。
気持ちは落ち着いており、冷静でした。
「今はレースじゃない、これは実験だから楽しんで〜w」
そんな気持ちでリラックス、少しでも力むと足が攣りそうになってました。
7分/km前後で走り続けることはできるが、これ以上速度アップは厳しいかな〜。
そんな状況でした。
第7章:関門ギリギリの攻防戦と、再び入った“走るスイッチ”
74km地点、サロマ湖で有名な鶴雅リゾート。
毎年、ここで振る舞われる“そうめん”を楽しみにしているランナーも多い場所です。
しかし、去年も一昨年も食べれた…そうめんはもうありませんでした。
いただいたのは、おしるこ。
この時に、偶然耳に入ってきた隣の年配ランナー家族の会話が、私にとって大きな転機になりました。
「あと10分しかないよ〜。お父さん結構かなりギリギリなポジションだよ。」
応戦していた娘さんが辛そうに走っていたお父さんに話しかけた会話でした。
——その一言で、ハッと我に帰りました。
残り、26kmで、自分が今、関門時間ギリギリの“最後尾グループ”にいることを、ここで初めて認識しました。(笑)
冷静だと思っている自分の頭の中も大したことはありません。
極限に近づいてくると、ほんと大切なこと以外何も気にしなくなってくるので。
考えてみれば、休みまくって、ストレッチばっかりしていたので時間がなくて当たり前なのですが。。。
まだ足は一定のリズムであれば動ける状況で、行きたくないけど、
正直「行けなくはない」状態だったのです。
ここまで来てリタイアは、やっぱりしたくない!!!
そう思った瞬間に、気持ちに再び“火”が灯りました。
本来のレースに戻った感じです。笑
そんなこと言っても、ほとんど変わらない速度でしか進めないのですけど。。。
できる限りのほんと少しだけ頑張ろう!と言った感じです。
少しでも頑張りすぎると脚が攣りますから。。
わずか、数ミリ、数センチだけ身体を前に傾け、腕を振り、頭を上に引き上げて、股関節が回る、脊柱が連動する感覚さえ繋がれば30秒ほどは早くなる感じでした。
そこからは、時計との静かな戦いです。
目指すは79.3km地点の関門(サロマ湖ワッカの入り口)。
制限時間は15:19。
この関門の時間も、大会中の走っているランナーの会話から情報をもらいました。w
「聞き耳情報キャッチアンテナ」をマックスにして情報集めながら走っていたのかもです。
同じ速度で走られているランナーのペースは7分30秒前後。
完走を考えれば、少しでも貯金がほしい状況。
7分半と6分半はさほど難しくない速度設定でした。過去の経験から、先手を打てる時に打たないと後では届かなくなることが、今までの厳しいレースでは数多く経験していました。
なので、今回も。
少しでも早く走れないかと、脚の状況を確認しながら、股関節から動かしたり、姿勢を伸ばしたりと実験しながら、ペースを探りました。
途中、やっぱり足はいつつってもおかしくないギリギリの状態。
少しでもリズムを崩せば立ち止まってしまいそうな状況でしたが、
“ここまできたら完走する”という思いだけが、私を前に押し出してました。
そして15:05、なんとか79.3km地点をクリア。14分の“貯金”を確保し、サロマ湖のワッカに突入!!

ここでスペシャルドリンクボトルを受け取り、ジップロック氷も腰ポケットに詰め直しました。
この80km地点のスペシャルドリンクは、今までの経験からモルテンが良さそうと考え、氷水をシェイカーに入れて、モルテンを溶かしスペシャルドリンクを作りました。
これが、最高!!
弱りきった時のモルテンは、冷やし砂糖水のような美味しさでした。
水をかぶり、体を冷やし、モルテンのシェイカーを片手に持ったままスタート。
「走る準備」は整えましたが、体は限界に近づいていてました。
ワッカの入り口は、ゆるやかな登り坂。
その登りが、まったく走れないほどの足の消耗を自分に突きつけてきました。
“走れない”という現実に直面した時、「あ、今回は本当にギリギリなんだな」と悟りました。笑

それでも、平地と下りではなんとか走る努力を続けます。
6分30〜7分台/kmを維持することが「貯金を作る手段」だと信じて、前へ、前へ。
85km地点からは、最後のカフェイン補給に切り替えました。
1週間コーヒーを抜いていたこともあり、身体がカフェインに素直に反応してくれた感じ。
少しずつペースが上がり、6分30秒/kmで動けるようになってきました。
「エッホ、エッホ、上り坂足に応えるから頑張って」
「エッホ、エッホ」
拡声器を仕込んで、写真と撮ってくれるカメラマンに思わず笑顔で答えたつもりですが、答えられたのか、笑顔が作れないほど苦しい状況でした。
※大会写真でこの時のだけは購入したいと思います。あの応援カメラマンは最高でした!
もういつでも、辞めれるほど足は動きません。笑
けれど、折り返し地点にある大きな橋の上りでは、足の力が残っておらず完全に歩行。
走る筋肉と歩く筋肉が違うことを身をもって感じながら、
“止まらずに”と前へ進み続けました。
ここで、私の”聞き耳アンテナ”にもう一つの関門の情報が入ってきました。
91.5km地点、16:54が最終関門。
折り返し後に存在しており、それを超えられなければ即アウトだそう。。。
「まだ関門あるのか。。。」
ワッカに入った大丈と思い込んでいたのに、想像以上にギリギリで笑っちゃいました。
頭の中では、壊れた電卓のような頭で常に計算してました。
でも疲れた頭は大したことはありません。
何度も何度も計算ばっかりします。
- 残り距離は?
- 6分30秒/kmで走れると何分かかるか?
- 万が一攣ったらストレッチに使える時間は??
「キロ7分なら10kmで70分。キロ6分なら60分…」
キロ6分30秒なら??
常に逆算しながら、走れるペースをキープし続ける感じです。
昔のトレラン大会ではよく、関門ギリギリだったのを思い出したりしながら。。久々の感覚でした。
そしてついに、91.5km地点の関門へ。
時刻は16:37。関門は16:54。
数字だけを見れば、17分の余裕を残しての通過。
…けれど、実感としては“ほぼ限界”。
頭ではまだ時間があることを理解していても、
身体の余力と精神の余白がすでにギリギリでした。
「もうこれ以上止まったら、動けなくなるかもしれない」
そんな、限界ギリギリの縁を歩いているような感覚でした。
倒れて動けないランナー、折り返しに間に合わなかったランナーたちの姿が、
この時間帯の過酷さを物語っていました。
「サロマ完走は簡単ではない」——その現実が、肌で突き刺さってくるような後半戦。
それでもまだ、レースは終わらない。
残りは、ラストの8.5km。
第8章:限界のその先へ——ゴールへのラストスパート
91.5km地点の関門を通過したらもうゴールできる。
そんな情報は聞いたこともありました。
「ワッカに入ったらゴールできるから」
こんな話も聞いてました。
ですが、ここまで脚が残ってないと、もはやいつ事故が起こってもおかしくありません。
軽い凸凹に足先がひっかって転倒すれば、大ダメージを受けることになります。
実際に、ワッカで私の後ろのランナーが転倒されてました。
“ゴールまで残り1時間”という現実とのにらめっこが始まりました。
理屈では「間に合う」はず。
でも、体はもうどうやっても回復できないレベルで消耗してました。
氷パックをお尻や大腿部にあてながら、
大腿四頭筋の強烈な疲労を少しでも軽減させるフォームを探し、ゆっくり、そして確実に前へ進んでいきました。
なんとか6分30秒/kmで動けているのは、これまでの練習と姿勢治療家(R)としての経験値のおかげだと思います。
途中、仲間同士で過去のトレラン大会の話を笑いながら走っているグループも見かけました。
その輪に加わりたくなる気持ちもあったけれど、一度気を抜いたら動けなくなる気がしたので断念。
ただ静かに、自分のリズムで黙々と前へに進みました。
■ 95km地点:17:12 → 残り4km、残り48分
ここで一度、カフェインジェルを取ろうか迷いましたが、すでに頭がカフェイン拒否になり、補給は断念。
林道のアップダウンを抜けながら、意識は“とにかく止まらない”に集中していました。
■ 98km地点:17:28
ここでようやく携帯を手に取り、仲間に「なんとかゴールできそうです」とメッセンジャーを送信。
この一報が、自分自身への最後の背中押しになりました。

「もう絶対に歩かない」と決めて、最後のジェル(OVER BLAST)を摂り、バイザーを整え、タオルをしまい、ゴールの準備をしながら、ウィニングランだと思ってスタート。
※最後のオーバーブラストは、この数年違いを感じてます。
ここからは、自分の中で大会運営者や応援してくれている皆様に感謝を伝えるため最後までやり切るだけでした。
歩いても間に合うのは分かっていますが、歩くのだけは避けたい。
サロマ湖ウルトラの最後は、驚くほど歩いてます。
5%の人が走り、全員歩いていると考えてもいいぐらい、歩く人多さに驚かされました。
アイアンマンもトレイルも最後に近いゴールは何度もありますが、ウルトラマラソン独自の光景なのかもしれません。
でも、僕のスタイルはやり切ること。
限界を超えた先にある姿勢で、できるだけ最後まで走って終わりにする。
6分30秒/kmが自分の“最速”でしたが、そのペースで周囲のランナーをどんどん追い越しながら進めました。ごぼう抜き以上に百人以上順位を上げた最高のウイニングランでした。
99km地点では、少し足がつりそうになりましたが、使う意識を切り替えて進みました。
少しずつ応援の声が近づくにつれ、僕への応援ではないですが手を振って返します。w
海外のレースは結構、目があって応援してくれる感覚があるのですが、特定の人を応援してる方が多いのも日本の特徴なのかもですね。
最後のコーナーを右に曲がると、今年も戻って来れた安堵感が湧いてきました。
ゴールに入ると、DJが盛り上げてくれてました!
友人がどこにいるのか探しながらのゴールへ!
最後までフォームも崩れず、姿勢を意識して、淡々と足を前に運べたと思います。
■ ゴール:17時45分 完走

制限時間15分前のゴール。
昨年に比べて2時間近く多くかかったサロマ湖ウルトラ100km、無事に3回目完走できました。
最後にメダルを首にかけてもらった瞬間、
初めてマラソンを完走した時や、初のアイアンマンでゴールした時と同じような達成感でした。
「あの状況からよく戻れたな〜」が率直な完走でした。

途中、何度も諦めかけましたが、やめなくて良かった。
何度も足が止まりそうになりました。
参加できずオンラインで応援してくれた仲間やゴールで迎えてくれたおかげで、疲れは一気に消えました。

一人は、バイクでゴール地点にテントを張って宿泊、ゴール後戻り、もう一泊テントということでした。今度はバイク&テント&応援も良さそうです。
仲間の力と応援の力が。自分の力になっていたことを、改めて実感しました。
ほんとありがとうございました。
夜は、砂漠仲間のカニさんの懇親会に混ぜていただき、しっかり打ち上げもできました。
サブ10だらけのグループだったので、練習方法を沢山ヒントを頂きました。
やっぱり、仲間の力はすごい!

さすが!
第9章:走り切った先に見えたもの 〜振り返りと学び〜
今回のサロマ湖ウルトラマラソンで、私が得た最も大きな学び。
それは、「練習不足は正直に結果に現れる」という当たり前すぎる真実でした。
ウルトラマラソンは、ただの“長いランニング”ではありません。
長時間、身体と心を管理し続けるスポーツであり、鍛えるべきは距離耐性。
私は今回、それを間違いなく軽視していました。
ペース走やレースペースのロング走を5月6月にほとんど積めていない状態で本番を迎えてしまったのです。
振り返ると、本当に意味ある練習と言えるのは——
- 6月1日の26km+15km
- 5月18日の25kmのLSD
- 5月11日の山手線一周(ダラダラ走)
程度。これでは、100kmを走り切る土台にはなりませんでした。
*あの暴走気味のスタートがなければ…*と思う部分もありますが、
冷静に言えば“自爆レース”だったと言わざるを得ません。笑
でもいい経験になりました。
🔸転機となった、あの一言
今回、一番印象に残っている瞬間は、やはり鶴雅のエイドでの出来事。
横にいたおじさまのご家族の「あと10分しかない」という声。
その瞬間、スイッチが切り替わりました。
「ここまで来たらゴールしたい」という気持ちが自然と湧き上がってきたこと。
それまで自分では“負けず嫌い”とは思っていませんでしたが、
もしかしたら、「やりきりたい気持ち」は人一倍強いのかもしれません。
そんな、新たな自分の一面にも気づけました。
🔸反省と改善策
反省点は3つ。しかも、絶対にやってはいけない3つです。
- 睡眠不足:前日10時就寝、3時間未満の睡眠でスタート
- 練習不足:ウルトラ用の土台づくりができていなかった
- 判断ミス(オーバーペース):感覚だけで飛ばしすぎた序盤
これが揃うと、どんなに経験があっても足は売り切れます。
今回の私はまさに、それを身をもって体感しました。
初心者みたいですね〜。ほんと。
🔸うまくいったことと、次に生かしたいこと
一方で、うまくいったこともいくつかありました。
- スペシャルドリンクの活用:(荷物が少なく済んだ)
- ジップロックを活用した冷却戦略:
腰、胸、肩、首など、熱を逃がしたいポイントを戦略的に冷却できたのは大きな武器。
これは今後の炎天下レースでも必ず取り入れたい方法です。
ジップロックを持っていれば、氷があればなんとかなりますし、なければコンビニでも買えそうですね。
🔸これから挑戦する方へ、伝えたいこと
このブログを読んでいる方の中には、
これからサロマを走ろうとしている方もいるかもしれません。
特に、これからのサロマ湖は“暑さ”との戦いになる時代に突入していると感じます。
だからこそ、次のことを心に留めてほしいと思います:
- 寝不足での参加は絶対に避けること
- オーバーペースに要注意。飛ばすと必ず反動が来る
- 「無理にでも4月・5月マラソン大会のようなロングペース走ができる大会か、仲間と強制的にペース走を走る」のも一つの練習法
- 冷却方法(氷のジップロックなど)を事前に準備すること
🔸ウルトラという、人間の総力戦
ウルトラマラソンは、「ただ走る」だけの競技ではありません。
身体、心、戦略、環境、仲間との関係性——あらゆる要素のマネジメントが求められます。
だからこそ、簡単には完走できません。
けれど、だからこそ、挑戦する価値がある。
今回の私は、失敗も反省も含めて、“人間らしく、いろんな感情、解釈を体験できた時間”を味わった100kmでした。
そして願わくば、これを読んで誰かが
「よし、私も挑戦してみようかな」と思ってもらえたら、
これ以上に嬉しいことはありません。
今走っていない方にとっては、未知の距離に感じるかもしれません。
でも、人間は走る動物です。
【やりたかったら、やってみる!】
背中に汗をかくよう感覚がありますが、実は人生ちょっとした選択で未来が変わります。
私も2011年、走れないところのフルマラソンから、今があります。
体育は苦手、運動歴少。
出会えない景色や未来が、走れる身体には宿ります。
人生一度限りです。
健康は、実践することで結果がついてきます。
食事や睡眠ももちろん大事ですが、運動が最高の循環剤になっていきます。
あなたのエンジンを回して、いつでも走れる身体で
健康で自分の足である続けられる人生を手に入れましょう!!
人生100年時代に、本当に健康で生活したいあなたへ!!

完走を目指すすべての人へ、心からエールを。
また、サロマの道でお会いましょう!!!
姿勢治療家(R) 仲野孝明
□関連ブログ
◎【装備・補給記録】第40回サロマ湖ウルトラマラソン100kmに向けた準備内容まとめ(2025年)炎天下ラン対策
URL: https://takaakinakano.com/heat_run_saroma2025/
この大会で使った補給やウエアなどに関して
◎第38回サロマ湖ウルトラマラソン2023完走!!振り返り。 | 姿勢治療家(R)仲野孝明公式サイト
URL: https://takaakinakano.com/saroma_2023/
2023年のサロマ湖ウルトラマラソン完走の振り返りについて書かれています。
◎目標達成への挑戦_2024年サロマ湖ウルトラマラソン100km | 姿勢治療家(R)仲野孝明公式サイト
URL: https://takaakinakano.com/2024_saroma/
2024年のサロマ湖ウルトラマラソン100kmへの挑戦について書かれています。
◎ペース走で目指すサブ10:仲野孝明のウルトラマラソン準備法|姿勢治療家(R) – note
URL: https://note.com/takaaakinakano/n/n65377c882726
サロマ湖ウルトラマラソンに向けた練習法について書かれています。
コメント2件
[…] 818 TLサロマ湖ウルトラ2025 2602 TL 大阪マラソン2025 1261 TLハセツネ2024 2080 TLUTMB 2022 3545 […]
[…] 4月・5月にペース走30km✖️2or 40km or 50km を入れ込むまだ、2026年にサロマを走る気持ちになっていませんが。>>>>>ウルトラマラソンは、「ただ走る」だけの競技ではありません。身体、心、戦略、環境、仲間との関係性——あらゆる要素のマネジメントが求められます。だからこそ、簡単には完走できません。けれど、だからこそ、挑戦する価値がある。今回の私は、失敗も反省も含めて、“人間らしく、いろんな感情、解釈を体験できた時間”を味わった100kmでした。そして願わくば、これを読んで誰かが「よし、私も挑戦してみようかな」と思ってもらえたら、これ以上に嬉しいことはありません。今走っていない方にとっては、未知の距離に感じるかもしれません。でも、人間は走る動物です。【やりたかったら、やってみる!】背中に汗をかくよう感覚がありますが、実は人生ちょっとした選択で未来が変わります。私も2011年、走れないところのフルマラソンから、今があります。体育は苦手、運動歴少。出会えない景色や未来が、走れる身体には宿ります。人生一度限りです。健康は、実践することで結果がついてきます。食事や睡眠ももちろん大事ですが、運動が最高の循環剤になっていきます。あなたのエンジンを回して、いつでも走れる身体で健康で自分の足である続けられる人生を手に入れましょう!!人生100年時代に、本当に健康で生活したいあなたへ!!完走を目指すすべての人へ、心からエールを。また、サロマの道でお会いましょう!!!姿勢治療家(R) 仲野孝明◎関連ブログ“姿勢”と“意志”で限界を超えた2025サロマ湖ウルトラマラソン100kmhttps://takaakinakano.com/saroma_2025/ […]