380km走ってわかった、日本の道に足りないもの|次の100年への提言
こんにちは、姿勢治療家®の仲野孝明です。
先日、7Days飛脚380という企画で、四日市から東京・青山まで380kmを7日間かけて走りました。ルートをどう作ったかは別の記事に書きましたが、今日はもう少し、走り終えてからずっと考えていることを書かせてください。
380kmを自分の足で移動して、いちばん強く感じたこと。それは——
今の日本の道は、「人が歩くため」には、作られていない。
これは、姿勢治療家として「人間は歩く・走る動物だ」と毎日伝えている私にとって、見過ごせない発見でした。少し長くなりますが、次の100年のために、書き残しておきたいと思います。
この記事の要点
- 380kmを走って実感したのは、日本の道の多くが「車のため」に作られているということ
- 歩道が0センチの橋、歩車境界のない道、側溝の上しか走れない道が、各地に実在する
- 100年前、街は「人が歩くこと」を基本に設計されていた。それが車中心に変わった
- 「歩ける道」は、健康寿命・観光・地域経済のすべてにつながる社会インフラ
- 1本の道に年間10万人が歩けば経済効果は約177億円(サンティアゴ巡礼は年50万人)
- 提言:車道を少し狭くし、人を中心に道を作り直す。全国を歩いて旅できる道のネットワークへ
目次
「人間のための道」は、確かに残っていた
最初に、希望の話をさせてください。
380kmの中で、「これは人間のための道だ」と心から感じた場所があります。旧東海道の、箱根に登る道です。
丸い石畳が昔のまま残り、車は通れません。昔の旅人が、自分の足だけを頼りに越えていった道。きつい登りなのに、不思議と心が満たされていく感覚がありました。

これこそ、人間の速度に合った『人のための道』。
ただ、正直に言うと、石畳そのものが良いわけではありません。石畳はアスファルトより歩きにくいくらいです。私が惹かれたのは、もっと別のところでした。
道が、直線ではなく、なだらかに左右へ湾曲していくこと。 その適度なカーブと勾配が、人間の歩く速度に、驚くほどぴったり合うのです。次のカーブの先がどうなっているのだろう、と想像力が働く。先が気になって、もう一歩踏み出したくなる。旧道には、その魅力があります。
一方、車のための道は直線的すぎて、想像力が働きません。先まで全部見えてしまって、ただ長いだけに感じる。同じ「歩く」でも、道の形が違うだけで、こんなにも体験が変わるのかと驚きました。
「人のための道」は、山の中だけのものではありません。町の中にも、ちゃんとありました。名古屋の有松宿です。

江戸の宿場町の町並みが大切に保存され、歩道と車道がていねいに分けられている。石畳調の舗装は、歩く速度にちょうどよく、軒先には店が並び、歩く人のための表情があります。ここを歩くと、自然と心がほどけていく。「人を大切にした道は、町の中にも作れる」——その何よりの証拠です。
寒川町の一之宮緑道(廃線跡)もそうでした。車が入れない、人だけの道。緑があり、ベンチがあり、思わず深呼吸したくなる。
こういう道を走っているとき、人は自然と笑顔になります。問題は、こうした道が、380kmの中ではあまりにも「例外」だったことです。
歩いて初めてわかる、危険な道たち
では、現実の道はどうだったか。「ここは人が通るために作られていない」と、恐怖すら感じた場所が、いくつもありました。具体的に挙げます。
① 弁天島から浜松へ向かう東海道(県道316号〜国道257号合流まで) 現在「東海道」として残る道ですが、道幅に対して交通量が多く、人が通る歩道は狭い。すぐ横をトラックが走り抜けていきます。
② 横砂橋の周辺(国道1号・静岡市清水区横砂本町、東海道本線をまたぐ橋から約300m) ここが、今回いちばん象徴的な場所でした。東海道本線をまたぐこの橋、歩道が0センチです。早朝で交通量が少なかったから渡れたものの、昼間の交通量だったら、相当怖い思いをしたはずです。歩く人のことが、まったく想定されていない。

③ 千本街道の歩道区間(原から沼津に入るまで、県道380号) ④ 沼津駅へ向かう歩道 どちらも、交通量に対して歩道と車道が近すぎる。すぐ脇を車が流れていく緊張感の中を走りました。
ルート記事で「姫街道は歩道が少ないから諦めた」と書きましたが、あれも同じ問題です。本当は歴史ある道を通りたかったのに、人が安全に歩けないという理由で、諦めるしかなかった。 この悔しさが、この記事を書く動機になっています。
危険の正体は、「構造」にあった
走りながら、なぜ危険なのかを観察していました。姿勢治療家として、体に起きることは「構造」で説明したくなる性分です。道も同じで、危険には構造的な理由がありました。
ひとつは、歩車道境界ブロック(縁石)の有無です。歩道と車道の間にブロックがあるだけで、安心感がまるで違う。これが無い道で交通量が多いと、本当に危ない。
そしてもうひとつ、見落とされがちなのが側溝です。歩車境界ブロックがあっても、歩ける部分が現場打ち側溝(コンクリートを現地で流して作る側溝)のフタの上だけ、という道がかなりありました。フタはバラバラでつまずきそうになり、道路側が高く勾配もきつい。「ここを歩け」と言われても、まっすぐ歩くのが難しい。
側溝の上しか歩く場所がない道——これは、設計した人が「人が歩く」ことを、ほとんど考えていない証拠だと思います。極端に言えば、人が動くのは駐車場までで十分、という前提で街ができているのかもしれません。
そして、側溝の問題には続きがあります。歩道側に側溝があるのは、車道の水はけを優先した結果なのです。だから、歩く場所が片側に傾いている箇所も多い。長距離を歩いてみると、この傾きがじわじわ体にこたえます。人間を中心に考えた道なら、両サイドに水はけを作って、歩く場所を平らに保ってもいいはずです。
路面の状態にも、はっきり差が出ます。車道のアスファルトは、転圧が強く、厚く敷かれているので、きれいなまま。ところが歩道側は、ひび割れたり、波打つように歪んだりしている箇所が本当に多い。あくまで「取ってつけた」ような作りなのです。長距離を歩く人がいない前提だから、歩道はずさんにされてしまう。走りながら、その扱いの差を、足の裏でずっと感じていました。

もうひとつ、別の場所の写真です。

こちらは、先ほどより整備されています。それでも、歩ける幅は側溝のフタ1枚分。人がすれ違うこともできません。つまり問題は「荒れているかどうか」だけではないのです。そもそも、人が歩くための幅が確保されていない。 これこそが、根っこにある問題だと感じます。
名古屋では、歩道に草が生い茂っている場所も多く見ました。誰も歩かないから、草が伸びても気づかれない。車の交通量は多いのに、歩いている人は皆無。そんな道がいくつもありました。

歩きたくなる道と、そうでない道
では、人はどんな道なら歩きたくなるのか。380km歩いた体は、はっきり知っています。
歩きたくなるのは、歩道が広い道です。 広くて、きれいで、安心して足を運べる。それだけで、歩くことが楽しくなる。
逆に、車のために作られた道は、効率を優先して直線的で殺風景です。横を車がバンバン通り抜けていく。これでは、歩く楽しさは生まれません。
理想は、片側だけでも軽い屋根(通路シェルター)があり、歩道が広く、植栽のある道です。新しく作られた街では、こうした仕様が増えてきました。たとえば浜松町南口の通路は、屋根があって広く、雨でも気持ちよく歩けます。雨をしのげて、広くて、緑がある。これが「人のための道」だと、私は思います。
100年で、私たちが失ったもの
仲野整體は1926年(大正15年)の創業です。ちょうど100年前。
100年前の道は、どうだったでしょうか。当時、移動手段は主に徒歩、せいぜい馬や自転車でした。つまり、街は「人が歩くこと」を基本に設計されていたはずです。道沿いの看板も、歩く人の目線に合わせて作られていた。人は歩きながら、街の流れや空気を感じ取っていた。
それが、車の時代になって変わりました。看板は車に乗った人の目線になり、道は車が速く走るために直線化された。「人が歩く」ことを基本にできていた街が、「車が走る」ための環境に作り変えられた。 これが、100年で起きた、いちばん大きな変化だと思います。
歩いて旅をする人の目線が今も残っているのは、おそらく旧東海道くらい。あとは、車のための道です。
私が描く、次の100年の道
ここからは、姿勢治療家としての、そして380kmを自分の足で旅した一人の人間としての提言です。
その前に、ひとつ思い出す光景があります。1996年、インドを訪れたときのこと。道路の上を、歩く人も、車も、牛までもが、ぐちゃぐちゃに入り混じって進んでいました。もともと人が歩いていた道に、後からバイクや車が無秩序に入ってきて、ルールがなかった。あの混沌は、今でも忘れられません。
だから、ルールは必要です。それは間違いない。けれど同時に、忘れてはいけない原点があります。道とは、人間が歩くことで生まれたものだということ。車のために道があるのではなく、人が歩く道に、後から車が入ってきたのです。その順番を、もう一度思い出したいのです。
私は、人を中心に道を作り直したいと思っています。
具体的には、車のための車道を少し狭くし、人が歩くための道を中心に据える。人の道には、あの写真のような軽い屋根があってもいい。
車を悪者にしたいわけではありません。車は、地下でも、地上でも、2階でも構わない。これから自動運転が広がっていく中で、渋滞せず、安全に通れる仕組みができていくはずです。そうなれば、道の主役を車から人へと戻し、車はあくまで補足的な存在として位置づけられる。そういう未来は、十分に現実的だと思っています。
たとえば東京。3車線ある道なら、その1車線を歩行者のための道に変える。それくらいのことは、やろうと思えばできるはずです。
もちろん、すべての道を歩行者専用に作り直せ、と言いたいわけではありません。車が必要な場面はあります。ただ、車が通らない歩道がどれだけ快適で安全かは、380km歩いた身として断言できます。
ひとつ、希望もあります。実は今回の旅でも、きれいに整備された道はありました。人口の多い街、新幹線が停まる駅の表通りに近い国道は、青山通りのように広くてきれいな歩道だったのです。つまり、やればできる。やっていないだけ、あるいは優先順位が低いだけなのです。問題は、それ以外の大多数の道が整備不良のまま置かれていることです。
そして、これがいちばん伝えたいことです。
日本全国を、自分の足で歩いて旅できる道を作りたい。 各県が手をつないで、全国を歩いて回れる道を整備する。海外にはそうした「歩いて国を旅する道」の文化があります。日本にも、東海道という素晴らしい原型がある。それを、次の100年の財産として、人が安全に歩ける形で整備し直せたら——。
これは、夢物語ではありません。日本にとって、切実に必要なことだと考えています。
理由のひとつは、健康寿命です。日本は長寿の国ですが、その一方で、健康寿命が比較的短く、介護を必要とする期間が長いという特徴があります。元気に動ける時間を延ばすには、特別な運動施設より先に、日常的に体を動かせる「歩ける道」が要るのです。運動の基本は、歩くこと。その基本ができる社会インフラを整えることが、結局いちばん効きます。
そこで思い描くのは、こんな形です。歩く道を公園につなげ、公園と公園を道でつなぎ、全国を網羅していく。 緑のある道を、安全に、どこまでも歩いていける。そうなれば、歩く人が増え、沿道には小さな個人経営のカフェだって成り立つようになります。人が歩けば、街にお金と賑わいが戻ってくる。
そしてこれは、観光立国・日本としても大きな魅力になります。世界中から来た人が、自分の足で日本中を歩いて旅できる。これほど豊かな観光資源はありません。
試算してみると、経済価値は莫大になる
少し、具体的に計算してみましょう。
歩いて旅をする人は、1日およそ30km進むとします。宿泊費を8,000〜10,000円(間をとって9,000円)、食事を5,000円とすると、1人が1日に使うお金は約14,000円。380kmを30km/日で歩けば約13日かかるので、1人が完歩するまでに使う総額は約18万円になります。
この旅人が、年間でどれだけ訪れるか。ここで参考になるのが、世界最大の「歩く旅」、スペインのサンティアゴ巡礼路です。2024年の巡礼者数は499,241人と過去最高を記録しました。1本の歩く道に、年間50万人が世界中から集まっているのです。
もし日本の「歩いて旅する道」に、
- サンティアゴの約10分の1、年間5万人が訪れれば → 経済効果は約89億円/年
- 約5分の1、年間10万人なら → 約177億円/年
- 同規模の年間50万人なら → 約887億円/年
これは、ひとつの道がもたらす数字です。全国に網の目のように道が整備されれば、その価値は計り知れません。しかも、このお金は大都市ではなく、道沿いの小さな町や村に直接落ちていく。歩く人は、地元の宿に泊まり、地元の店で食べ、小さな個人カフェで一息つくからです。地方創生の文脈でも、これほど理にかなった話はありません。
サンティアゴ巡礼が証明しているように、これは夢物語ではなく、現に世界で起きていることなのです。日本には東海道という、世界に誇れる原型がある。やらない理由がありません。
つまり、「歩ける道」は、健康・経済・観光のすべてにつながる投資なのです。
そんな国になれば、人はもっと人間らしく生きられると思うのです。
まず、あなたにできること
大きな話をしましたが、はじまりは、とても小さな一歩です。
歩いてみてください。そして、歩きにくい場所をピックアップしてみてください。
自分の家の前から、駅まで。いつもの道を、車ではなく自分の足で。すると気づくはずです。「ここ、歩道がないな」「ここ、怖いな」と。その気づきこそが、街を変える出発点です。
私自身が380km歩いて、体で実感したことがあります。少しの食事で動けて、よく眠れて、体重も体脂肪も落ち、筋力は上がり、コレステロール値まで下がりました。人は、自分の汗で移動するようにできている。 それが、いちばん健康なのです。
院に来られる方の不調の多くも、「動かない生活」と無縁ではありません。歩きたくなる街は、人を健康にする街でもあるのです。
人間が歩く動物である以上、家の前から安全に歩ける道がなければ、車中心の社会はずっと残り続けます。逆に、歩いて旅する人が増えていけば、街は少しずつ、人のために変わっていくはずです。
姿勢が変わると、人生が変わる。道が変わると、未来が変わる。
380km走って、私は確信しました。
人が歩ける道は、人を健康にし、街を豊かにし、人生を楽しくする。
次の100年、子どもたちに、安全に歩いて旅ができる道を残したい。そのために、まずは私自身が歩き続け、伝え続けます。
すべての人生に、”正しい体の使い方”を。そして、すべての街に、”人が歩ける道”を。
姿勢治療家® 仲野孝明
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これで全記録は完結です。

仲野孝明(なかの たかあき)は、姿勢治療家®。1926年(大正15年)創業、100年の歴史を持つ仲野整體東京青山の四代目院長を務める。「姿勢が変わると、人生が変わる」を信条に、正しい姿勢と身体の使い方を伝える施術・指導を行う。
著書は7冊。代表作『調子いい! がずっとつづく カラダの使い方』(サンクチュアリ出版)ほか、姿勢と健康に関する著作を通じて、多くの読者に身体の使い方を伝えてきた。企業の健康支援にも力を注ぎ、法人向けに姿勢と身体の使い方を伝える「日本のオフィス健康プロジェクト(NOK)」を立ち上げた。
自身も38歳からランニングを始めた実践者であり、サハラ砂漠マラソン、アタカマ砂漠マラソン、UTMB(160km)、トルデジアン(330km)、IRONMANトライアスロンなどの過酷なレースを完走。2026年には治療院創業100周年を記念し、四日市から東京青山まで380kmを7日間で走る「7Days飛脚380」を完走した。臨床の知見と自らの身体実験を融合させ、ブログ・YouTube「姿勢の医学」・PODCAST「姿勢が変わると、人生が変わるラジオ」などで姿勢と身体の使い方を発信し続けている。





















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