富士登山競走 山頂コースで五合目関門に敗退|データが示した本当の敗因
富士登山競走・山頂コースで、五合目関門に阻まれました。
その原因を、COROSの心拍・GPSデータで徹底的に分析した記録です。次に同じ山へ挑む人のために、そして来年の自分のために、結論から書きます。

目次
結論:敗因は「体力」でも「準備不足」でもなかった
2026年7月24日、富士登山競走・山頂コースに出走し、五合目関門(制限2時間15分)で終了しました。グロスタイム2時間19分51秒。次回以降の出走権となる2時間20分に、ぎりぎり滑り込むのが精一杯でした。
服装も、補給も、食事も、前泊も、準備できることはすべて完璧にできていました。それでも止められた。データを1秒単位で見直して分かった本当の原因は、次の3つです。
- 馬返しを渋滞前に抜けられなかった。狙い65分に対し69分。このわずか4分の遅れで、その先の細い登山道の渋滞に飲み込まれた
- 閾値ペースが、富士の登坂スピードに足りなかった。馬返しまでを心拍183で通過。乳酸性閾値158を、25拍も超えていた
- 基礎的な走力の土台が薄いまま、レース用の登坂練習を積んだ。6月の練習は、閾値以上の高強度が約6割。有酸素持久ゾーンはわずか16%だった
なぜ関門に間に合わなかったのか ── データが示した事実

データは、残酷なまでに明快でした。
スタートから最初の30分の平均心拍は171。私の乳酸性閾値(LT)は158です。閾値とは、ざっくり言えば「これ以上は身体が酸素を供給しきれず、長くは維持できないライン」。そこを、序盤からすでに13拍も超えていました。
そしてレース全体139分のうち、閾値を超えていた時間が129分。実に92%。ほぼ全行程を、身体が悲鳴を上げる領域で押し切っていたことになります。
馬返し(標高1,450m)の通過は69分、そのときの心拍は183。この時点で、すでに脚を使い切っていました。狙いの65分を4分過ぎたことで、その先の登山道で渋滞に巻き込まれ、動けなくなった。五合目に差しかかる前に2時間15分のタイムリミットが過ぎ、流れが一気に遅くなりました。つまづいて足を攣る人、転んで寝転んでしまう人——戦場のような登りを、なんとか押し上げて、ぎりぎりのタイムに滑り込むのが限界でした。
2年前と比べて ── 山頂コースには、まだ届いていない
富士登山競走に初めて挑んだのは2024年。この年は五合目コースに出場して完走し、2時間20分切り(2時間16分21秒)で山頂コースへの出走権を得ました。2025年はエントリーを逃して不参加。今年2026年が、その権利を使った山頂コース初挑戦でした。
ただ、データを並べて大切なことに気づきました。
| 2024年 (五合目コース) | 2026年 (山頂コース) | |
| 馬返し通過 | 72分 | 69分 |
| 馬返し時点の心拍 | 168 | 183 |
| 五合目までのタイム | 2:16:21 | 2:19:51 |
| 山頂コース五合目関門 (2:15)に対して | 届かず | 届かず |

ここが重要です。五合目コースとしては2024年に完走した。けれど、山頂コースの五合目関門(2時間15分)という物差しで見ると、2024年の2時間16分でも、実は届いていなかった。そして今年はそこからさらに3分遅く、心拍は15拍も高い。つまり私は、2年前も今年も、山頂コースを完走できるだけの地力にまだ達していなかったということです。
今年はコースに慣れた分だけ走れた気になっていましたが、データを見直すと、むしろ2024年より苦しい走りでした。2024年は東京マラソン、サロマ湖ウルトラ、TJARを目指して人生で一番走り込んでいた時期(5月262km、6月344km)。対して今年は、直前の板橋シティマラソンがサブ4ぎりぎり(3時間58分)。2年前は同じ時期に4分45秒/kmで走れていたのが、今年は5分40秒/km。マラソンの基礎スピードそのものが、2年前から落ちていたのです。
なぜ「心拍を抑える」だけでは解決しないのか
計画では「中の茶屋までのロード区間で、心拍を158までに抑えたい」と書いていました。ところが実際には、スタート直後から158を大きく超えていた。ここに、このレース最大のジレンマがあります。
抑えれば順位が下がって渋滞に飲まれ、飛ばせば脚が売り切れる。周囲のランナーと同じペースで踏ん張るのが精一杯で、抜かれる状況になればもう間に合わない。かといって飛ばす余力もない。今年はこのジレンマに敗れました。
これを解く道は、一つしかありません。閾値158で出せるスピードそのものを、上げること。閾値心拍という数字(158)は個人固有で大きく動きませんが、その158で走れるペースは、トレーニングで上げられます。閾値が上がれば、同じ65分の登りを、より低い心拍で、脚を残して通過できる。
今回183拍で払ったものを、来年は165拍で払えるようにする——それが渋滞回避と脚温存を同時に満たす、唯一の設計です。
来年に向けた対策 ── 52週間の設計
今年の失敗は、時間が足りなかったこと(3月28日エントリーで実質4ヶ月弱)、その中に自主イベント「7Days飛脚380km」という大きなロングが挟まったこと、そして何より基礎的な走力の土台が薄かったことでした。来年は、今日から本番まで52週間。今度は、順序を守って積み上げます。
- 8〜10月:土台の作り直し。走る時間の8割以上を心拍135以下に。今年削ってしまった低強度の総量を、徹底的に積み直す。この地味な数ヶ月が、来年の馬返しで10拍の差を生むはず。
- 10〜12月:閾値ブロック。一年で最も重要な12週間。週1回の閾値走を一度も切らさず続け、閾値ペースを上げる。今年の最大の失敗だった「継続性」を、今度は守り抜く。
- 1〜3月:東京マラソン(3月7日)。この閾値の土台は、そのままマラソンにも効く。自己ベスト更新(目標3時間15分)を狙う。
- 4〜7月:登坂と高所への特異化。マラソン後、脚を「平地型」から「登坂・パワーハイク型」へ作り変える。最大負荷は本番の5〜6週間前まで。富士山と峠に通う日々になるはず
そして、ゴールデンウィークの飛脚イベントは、来年も続けてみたいなと考えています。
敵だったのは「飛脚」ではなく、基礎的な走力が落ちていたこと。時期さえ本番から離せば、飛脚はむしろ最高の有酸素トレーニングになります。
どこへ走ろうか、旅先を決める楽しみ。そして、人間本来の「走る」という営みが、健康につながっていく。この小走り飛脚という文化を、いつか広めてみたい。そんなワクワクもまた、私が走る理由なのです。
富士登山競走とは、どれほどのレースか

富士登山競走の山頂コースは、標高差約3,000mを駆け上がるレースです。六合目から山頂までの一般登山コースタイムは340分(5時間40分)。これを、わずか2時間で登り切ることが求められます。
走力がない人が偶然完走できる代物ではない——五合目で止められて、それを骨身で理解しました。足りなかったのは体力ではなく、閾値の範囲内で登り坂を走り切る「出力」でした。それは来年、時間をかけて作り直せます。
私はふだん、身体を診る仕事をしています。
患者さんによくお伝えするのは、「その人が身体をどう使ってきたか」という歴史が、いまの状態に現れる、ということ。今回のレースも同じでした。五合目で止まったのは当日の出来事ではなく、その何ヶ月も手前の練習の歴史が、結果として現れただけ。使い方の歴史は、練習にも刻まれる。
ならば、これからの一年で書き換えればいい。自ら、実証する。来年、また同じ山に戻ります。今度は、頂上まで。
※この分析は、COROSの心拍・GPS実走データをもとに構成しています。前日からの準備、当日の服装・補給の詳細な記録、4ヶ月間の全練習ログ、そしてデータ分析の全文は、別記事にまとめています。

仲野孝明(なかの たかあき)は、姿勢治療家®。1926年(大正15年)創業、100年の歴史を持つ仲野整體東京青山の四代目院長を務める。「姿勢が変わると、人生が変わる」を信条に、正しい姿勢と身体の使い方を伝える施術・指導を行う。
著書は7冊。代表作『調子いい! がずっとつづく カラダの使い方』(サンクチュアリ出版)ほか、姿勢と健康に関する著作を通じて、多くの読者に身体の使い方を伝えてきた。企業の健康支援にも力を注ぎ、法人向けに姿勢と身体の使い方を伝える「日本のオフィス健康プロジェクト(NOK)」を立ち上げた。
自身も38歳からランニングを始めた実践者であり、サハラ砂漠マラソン、アタカマ砂漠マラソン、UTMB(160km)、トルデジアン(330km)、IRONMANトライアスロンなどの過酷なレースを完走。2026年には治療院創業100周年を記念し、四日市から東京青山まで380kmを7日間で走る「7Days飛脚380」を完走した。臨床の知見と自らの身体実験を融合させ、ブログ・YouTube「姿勢の医学」・PODCAST「姿勢が変わると、人生が変わるラジオ」などで姿勢と身体の使い方を発信し続けている。





















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