2024-12-13

「全員の誕生日」だった時代に学ぶ、お正月の本質

江戸・明治時代の生活がやっぱり気になる、姿勢治療家の仲野孝明です。

江戸・明治時代の生活に触れるたび、現代人が失いつつある「大切なもの」が見えてきます。
飛脚が日本橋から京都までを走り抜ける驚異的な身体の使い方や、日常生活の中に隠された姿勢の知恵。それらを探るため、時間を見つけては書物を読み漁っています。

今回は、私が心を打たれた2冊の書籍のうち、特に「武士の娘」をご紹介します。この本を通じて、日本の伝統と生活の豊かさを改めて感じることができました。

明治時代の日本を描いた日本人の小説
武士の娘(PHP出版)
杉本鉞子(すぎもとせつこ)著 《旧越後長岡藩筆頭家老の娘》小坂恵理訳
https://amzn.to/3Dd81hj

「武士の娘」が教えてくれた、日本人の誇りと知恵

著者:杉本鉞子(すぎもとせつこ)

1873年、明治4年に生まれた杉本鉞子さんは、旧越後長岡藩筆頭家老の娘として伝統的な教育を受けたのち、渡米。その後、数々の困難を乗り越えながら米国で活躍し、自伝的小説「A DAUGHTER OF THE SAMURAI」を執筆しました。
1925年には、全米で「グレート・ギャツビー」に並ぶベストセラーに。(華麗なるギャッツビー2013年の映画の原作です)今回ご紹介する新訳版では、削除されていた24章も復元されています。

杉本さんと私は、生まれ年がちょうど100年違います。この奇縁もあって、彼女の視点を通じて明治時代を垣間見ることができました。本書を読み進めるうちに、忘れかけていた日本の価値観や生活の豊かさが鮮明に浮かび上がります。

 

時代を超えた「正月」の価値

「武士の娘」では、日本の伝統的な儀式や生活習慣が描かれています。
中でも心に響いたのは、「お正月」の描写です。数え年の文化に触れたとき、私自身の幼少期の記憶がよみがえりました。

私が小学校5年生のとき、お正月をまたいだスキー合宿(12月31日から4泊6日の志賀高原合宿)に出かけた際に父が激怒した理由。
それは、お正月に家族が揃わなかったことへの不満でした。今回の書籍を読んで、父が大切にしていたのは、ただの儀式ではなく、家族とともに新年を迎える日本独自の価値観だったと気付かされました。
特に感動したのは、かつて日本では1月1日が「全員の誕生日」とされていたという文化。数え年では、元旦を迎えるたびに一斉に年齢を重ねます。この考え方が、家族や地域全体で新年を祝う風習の背景にあったのです。。

私が子供の頃、お正月になるとスーパーやお店はどこも閉まっていました。
元旦には正装をして家族が揃い、お屠蘇を頂きながら新年の抱負を語り合う。そして、おせちやお雑煮をいただきながら家族で静かに過ごすのが当たり前だと思っていました。
その後、祖父母の家に挨拶に行き、お年玉をいただくのが毎年の流れでした。

このような過ごし方は、私が小学校5年生になるまで続いていました。ところが、スキー好きの友人に誘われて、お正月のスキー合宿に参加したいと母にお願いしました。そして小学校5年生の冬、ついに名古屋駅から大晦日の夜の夜行バスで志賀高原へ向かい、1月4日の夜に帰宅する旅行に出ることになったのです。

 

しかし、この旅行が原因で、父は当日に大激怒。理由は「お正月に家族が揃わない」ことへの不満でした。母も最初は理由が分からず、怒る父をなだめながら、なんとか私を送り出してくれました。母は、自身が子供の頃スキーをする機会がなかったこともあり、「経験させることが大事」と考えていたのです。

あの時、母が行かせてくれたおかげで、その後も中学3年生までスキーを続け、大学時代にはスキー場でアルバイトをするほどになりました。今でもスキーを滑ることができるのは、あの時の経験があったからです。

さて、話が少しそれてしまいましたが、今回この書籍を読んで、父が怒っていた理由が少しだけ分かりました。
父がこだわっていたのは、単なる「お正月の儀式」ではなく、祖父(仲野弥太郎)から受け継がれてきた大切な家族の習慣だったのです。祖父は1917年(大正6年)生まれ、曽祖父は1890年(明治23年)の生まれで、曽祖父が1926年に開業して以来続いてきた「お正月の儀式」。それは仲野家にとって特別なものでした。


日本料理研究家の叔母清水信子のレシピで作ったおせちを頂くのが私の幼少の頃でした。

数え年と日本のお正月

「数え年」という言葉をご存知ですか?
祖父母に年齢を尋ねると「数えで何歳」と答えることがありましたが、この数え年が「正月を大切にする理由」と深く関係していることを、この書籍で初めて知りました。

なんと、昔の日本では1月1日が「全員の誕生日」とされていたのです!
詳しく説明すると、数え年では、生まれた日を1歳とし、元旦を迎えるごとに全員が一斉に1歳ずつ加えていきます。例えば、昭和48年12月28日生まれの人は、12月28日で1歳になり、たった4日後の昭和49年1月1日には2歳になる、という仕組みです。

みんなが同時に年齢を重ねる日が「お正月」だったのです。だからこそ、お正月は家族で集まり、正装をしてお祝いし、新しい年の始まりをともに祝う特別な日だったのです。

 

数え年がなくなった理由

では、この「数え年」はいつなくなったのでしょうか?調べてみると、それは1950年。戦後5年が経ち、まだ暗い世の中に明るさを取り戻すため、年齢が少し若返ることで人々を元気づけ、景気を良くするきっかけとする法案が国会で可決されたそうです。こうして「数え年」は廃止されました。

全員が1月1日に年齢を重ねるという文化は、効率や近代化の流れの中で消えていきました。しかし、その背景にあった家族や地域とのつながりを大切にする考え方は、今でも私たちが学ぶべきものだと感じます。

 

日本の伝統を見直す

この書籍には、日本の伝統的な儀式や生活習慣が豊かに描かれています。読めば読むほど「知らないこと」だらけで、日本の文化の奥深さに驚かされます。たとえば、当院で年末に配っているお屠蘇も、かつては「不老の泉」という意味を持ち、新しい生涯の始まりを象徴していたことを知りました。

「いい国に生まれたんだな」と心から思える、そんな一冊です。これからも日本の姿勢や伝統を少しずつ学びながら、皆さんにもその魅力をお伝えしていきたいと思います。

日本人が長年培ったきた生活の技術を、人類の未来のために。
姿勢が変わると、人生が変わる。

姿勢治療家(R)
仲野孝明


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